あてなるもの

大人京都人視点日々色々

ブランドが泣いている。

昨日の通勤時、トラブルに遭遇した。

京都駅での乗り換え。ホームへの下りエスカレーターに乗る際、後ろから押された勢いで、前を行く若い男性の足に少しだけ当たってしまった。

『あ、ごめんなさい!』と言った瞬間、ヴィトンの大きなリュックを背負ったその男性は、恐ろしい形相で振り返り、睨みつけてきた…エスカレーターで下りきるまでの間、何回も振り返って睨みつけ・ホームに着いた時、

こう言われた。

『お前みたいな貧乏人が、買える靴やないんじゃ!!』

靴はグッチのようだったが…色々な意味で、

それほどの?そんなに?そこまで?と、唖然呆然。  無言でいると、そのまま去って行った。

彼が私の事を " 貧乏人 " と言った事にも腹は立たない。通勤時の私のファッションはカジュアルが多い。

彼から見ると、そうなのだろう。

なぜカジュアルなのか?

仕事には制服があるし、一番のお気に入りを遠距離通勤使いにする必要は無い。更衣室の小さな箱型ロッカーに、シワ覚悟で押し込む気にもならない。

なによりも服と靴が通勤ラッシュで傷むのが切ない… つまりは、彼の怒りと同じ理由だ。

私はTPOに合わせた装いを選びながら、自分の愛用品を大切にしている。

彼は、貧乏人が買えないという靴やリュックで、混雑する駅のホームで吠えていた。

苦労して手に入れた物かもしれないし、特別な思い入れがあるのもわかる。

けれど所詮は、靴であり、バッグである。

踏まれる事も、ぎゅうぎゅうに押される事もある。

ブランドだから!と、黄門様の印籠のような主張をしたり当たり散らすことこそ、私には『貧乏臭い』発想のように思えた。

そして、彼をとても気の毒に思った。

 

おしゃれは時として、その人の品性をも代弁する。

おしゃれへの考え方も、また然りだ。

 

 

 

f:id:suwaporin2:20191129220210j:image