敬老の日。
「おじいちゃん・おばあちゃん」
私の祖母…母の母は、【オノ・ヨーコさん】によく似ていた!
顔形が似ていただけでなく、祖母の発想も なかなか革新的だった。
私はいくつかの転職をしているが…最初の転職先に移ってしばらく経った頃、祖母から電話が掛かってきた。
『もう、あんた、ぼすにはおなりか?』
『え?おばあちゃん、何て??』
ボスニハオナリカ?!
『いや、そやさかい、ぼすにはおなりか?』
電話口でこんなやり取りを二度ほど繰り返し、
やっとわかった! BOSSのボスか!!
祖母は、私が転職先で、ボスになったのか?
と聞いてきたのだ。
祖母は時々私が知らない昔の京都言葉を使う事があり、今は使われなくなった言い回しやイントネーションを調べに、言語学者の先生が訪ねて来られた事もあった。
まさか祖母の口からBOSSが出てくるとは思わず・昔言葉の類いかと思っていたので、大笑い した!!
祖母の頭は柔らかく、" 良いもの " を取り入れるのが好きな人だった。
90年代。祖母は、留守番電話の名人になった。
帰宅すると、自宅の留守番電話には祖母からのメッセージが。まるでそこに聞き手がいるかのような絶妙な間合いで、祖母の優しい語らいが 吹き込まれていた。きっと今なら、スマホを使い熟したに違いない!
後年長く入院生活をしていたが、祖母の好奇心は衰えなかった。当時私は忙しく、出勤前にしかお見舞いに行けず・何もしてあげられなかった。せめて良いもの好きの祖母の気が晴れればと、楽しい服装で病室を訪ねた。
襟の高さが10センチ程ある、アレキサンダー・マックイーンのワイシャツ。
ちょっと宇宙的?保冷バックに似たシルバー 素材のボックススカート。
つい、柄を目で追いたくなる、 エミリオ・プッチのスカート。
『いや〜〜!粋な!』『なんときれいな!』と、祖母は手を伸ばし布地を確かめたりした。
病院には不謹慎な派手な服装かと思ったが… 意外にも病棟の方々にも大ウケ、祖母はとても喜んでくれた。
祖母のおしゃれ魂が衰えていない事に、 私も元気を貰った。
あれから時が経ち、母の老いは祖母の姿を思わせてくれる。
母は祖母に近づき、私は当時の母の年齢になっている。
日常のふとした瞬間に、母の中に祖母の面影が覗く。
あと20年もしたら、祖母は私の中にも現れてくれるのだろうか?
今からその日を心待ちにしながら、良い歳を重ねていこうと思う。